麻生久美子
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演出家が惚れ込み、映画『モテキ』や『翔んで埼玉』など話題作に続々と出演している麻生久美子。人気の割に意外とバラエティに出演していないのはNGワードを連発するかららしい(笑)。先日も久しぶりのトーク番組で告白した”若い頃の芸名”に衝撃が走ったとか?また『ふんわり』イメージからは想像出来ない壮絶人生を子供(小学校)時代に経験しているらしい・・・その驚きのエピソードを見ていきたいと思います。
 

麻生久美子 プロフィール

1978年6月17日生まれ。千葉県山武(さんむ)市出身。B型。162cm。
山武市は九十九里浜にも面してますが麻生久美子は最寄りの駅が日向駅。
内陸で山合いの街に住んでいました。
 
家族は両親に弟の4人家族でしたが幼少期に両親は離婚。母親に育てられています。
子供時代の詳細は後ほど紹介いたします。
1985年4月小学校入学。

中学生の麻生久美子

1991年4月、千葉県山武市立山武中学校入学。
麻生久美子は 幼稚園の頃から アイドルが大好きで、特にタレントの『西田ひかる』の大ファンです。
麻生久美子のファン 西田ひかる
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西田ひかるは麻生久美子が9歳の頃(1988年1月)にデビューしていますが、メジャーとなったのは1991年夏でした。
1991年は当時、超話題となっていたチャリティー番組『24時間テレビ「愛は地球を救う」』にパーソナリティーとして出演。また主役として出演したドラマ『デパート!夏物語』(7月2日~9月3日)も大好評。その主題歌『ときめいて』も西田ひかるが歌い、オリコン7位と人気絶頂でしたね♫
西田ひかるは、この年に紅白初出場していますから麻生久美子もおそらくこの頃からファンになっていると思われます。
この頃麻生久美子は13歳で中学1年生ですね。
 
”西田ひかる大好き”エピソードとしては、西田ひかるのホクロを真似してマジックで書いていたら本当にホクロになったことや原宿・竹下通りに西田ひかるのお店『ジャスト・ルー』が出来た時(1980年後半~1990年前半はタレント・ショップ全盛でしたW)に握手会が開催されて憧れの人とそこで初めて会い、感激して泣いてしまったことなどを2012年2月11日のTV番組『サワコの朝』で話していました。
 
ちなみに竹下通りの現存する”タレント・ショップ”はジャニーズと松田聖子のお店くらいかなあ・・・時代ですねW。
 
このように西田ひかるの大ファンで中学時代に『ファンクラブ』にも入会して握手会にも参加しているうち夢はアイドル歌手へ・・・
アイドルになりたい気持ちが抑え切れなくなった麻生久美子はタレント募集の広告を見て応募し中学の時から芸能事務所に所属しました。
でもそこはエキストラ専門の芸能事務所でしたW

『映画女優』の前に『CM女優』の麻生久美子

1993年の中学時代には『クレアラシル』(P&G)と『ファミリーマート』のCMにエキストラとして出演しています。
 
1994年4月、千葉県立佐倉南高等学校入学。
1994年には三菱電機の『ハイビジョン』CMに出演しています。
 
『麻生久美子は映画女優のイメージ』とオダギリジョーも言っていますが、実はCMにも負けず劣らず出演していてCM歴の方が長いんですね。
 
下の動画は麻生久美子のCM集ですが9:09辺りに『ハイビジョン』CM・・高校1年生の時の麻生久美子の姿が見られます♫
 
 
この『ハイビジョン』のCMはエキストラでなく主役ですな♫セリフもしっかりあってストーリーにも自然に溶け込んでる・・・女優としての素質を垣間見ることが出来ます。
 
1995年、高校2年生の時は雪印乳業『とろけるバターブレンド』CMで上記動画の11:07~に・・・。
メインキャストとしてCM出演しています。
 
CMデビューの『クレアラシル』は1:29~1:43で『大丈夫でしょ』と言ってる娘がおそらく麻生久美子と思われますが、いかんせん短いし他の娘も大勢いるのでわかりにくいW
 
目を引くのは冒頭のカネボウ『SALA』(2004年7月~2006年6月)CM時代の麻生久美子。
26歳~28歳の頃ですが、最高に綺麗です♫
3:28~のユニクロCM(2007年10月~)もドキッ!とするくらい綺麗で可愛いですよ。
ドラマ『時効警察』の頃で乗ってる時でしたしね、輝いてます♫
 
最近ではやっぱり”読まずにいらRENTA!”(笑)
電子書籍会社『パピレス』の『RENTA!』のCMが自分的にもメチャハマりましたW
 
 
麻生久美子と神木隆之介が姉弟役で出演。
『そりゃ、ちょっと教えらんねえな』と意地悪っぽく言い放つ麻生久美子が最高♫
その前後の神木隆之介と猫の反応も絶品W・・・何度見ても飽きませんW
 
今もコカ・コーラ『ジョージア』やショップジャパン等CMに出演中で、中学時代より27年間安定して出演し続ける麻生久美子こそ『CMの女帝』と言えます。

高校時代の麻生久美子

“時を元に戻そう~”(笑)
 
中学時代より上記芸能事務所に所属したことがきっかけとなり、1995年『第6回全国女子高生制服コレクション』に参加。
麻生久美子 若い頃 制服コレクション
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この『制コレ』で麻生久美子は見事『グランプリ』を獲得し映画等のオーディションに誘われる機会が増えていきました。
麻生久美子 若い頃 高校
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やはり可愛いですね♫グランプリ獲得も納得です♫
 
この『制コレ』は数年後に安めぐみも出演し準グランプリを獲得しています。
同じ『制コレ』出身のタレント 安めぐみの記事はこちら↴

『映画女優』麻生久美子の誕生

『制コレ同じ年の1995年、哀川翔が主演 兼 監督したハードボイルド映画『BAD GUY BEACH』で映画デビュー。
この時共演した藤原紀香もこの映画で女優デビューしています。
あと『バナナマン』の日村(結成して間もない頃)も出演してるんですよね、余談だけど(笑)
 
哀川翔は撮影時『芝居は間が大切なんだよ』と麻生久美子にアドバイスしたり優しかったらしい。
けれど、打ち上げの時に『もう少しうまくやってくれたら、もっと良い映画になったのに』とキツイ一言が(^_^;)
 
麻生久美子はこの一言がトラウマとなり『私って演技の才能がないのかも・・・』と思いつめてしまったようで(^_^;)
わかるわ~(^_^;)。年端もいかない女子高生が『Vシネマの帝王』でコワモテ哀川翔にそんなこと言われたら泣いちゃいますよねW
しかし、この時の哀川翔との出会いが縁となり、後の映画『カンゾー先生』のヒロイン抜擢へと繋がったというから人生何が吉と出るか分からないですねえW
 
1996年、17歳の時にドラマ・デビュー(『君と出逢ってから』TBS4月12日~7月5日)。
1996年には観月ありさ主演の映画『7月7日、晴れ』にも出演しています。
この映画には『子供ばんど』ギター&ボーカルのうじきつよしも出演してました。この頃うじきつよしは俳優業やってましたからねえ♫
 
ここまで、割とCMにはコンスタントに出演していましたが、映画&ドラマの方は上記以外には1997年、18歳の時に『猫の息子』という映画に1本のみといった状況・・・無名時代が続きます。

大出世作映画『カンゾー先生』出演秘話

麻生久美子 若い頃 カンゾー先生
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で、この頃、哀川翔が今村昌平監督の作品に出演していたため、『カンゾー先生』のオーディション情報が哀川翔の事務所にも入ってきたらしい。
 
麻生久美子は前述の哀川翔の映画に出演した時から哀川翔の事務所に所属しており、事務所の人から電話で『今からおじいちゃんと会うんだけど来てくれる?お話するだけだから』と言われて行ったところセリフを渡されて『読んで』と言われて読んだら決定みたいなW
 
この映画『カンゾー先生』で麻生久美子は
  • 第22回日本アカデミー賞『新人俳優賞』
  • 第22回日本アカデミー賞『最優秀助演女優賞』
  • 第23回報知映画賞『助演女優賞』
  • 第8回日本映画批評家大賞『新人賞』
  • 第20回ヨコハマ映画祭『最優秀新人賞』
  • 第24回おおさか映画祭『新人賞』
  • 第1回インターナショナル・コミュニケーション・フェスタ『ベスト・コミュニケーション・パーソン』

と7つもの映画賞を獲得!

日本アカデミー賞での『”最”優秀助演女優賞』ですよ!・・・18~19歳の無名な女の子が『最優秀女優賞』・・・
そしてカンヌ国際映画祭で特別招待作品に選出されてカンヌに行っちゃいました♫
 
無名の新人が一気に名女優として脚光を浴びた・・・まさにシンデレラ女優・・・大快挙です!
 
この映画、主役のカンゾー先生には当初、北村和夫の予定が手術のため不可能となり、緒形拳が立候補したが監督が却下!。三國連太郎に決定したが1週間で降板・・・という(^_^;)
最終的に主役となった柄本明の言うところ『(三國連太郎が)100テイク近く撮り直していた。その後、降板が決まった』と言う”いわく付き”の監督こだわりの作品。
なんせ監督は30年間構想していた作品とのこと💦
 
この作品での監督の麻生久美子の評価は『やりたいことを充分撮れなかった・・・あの子がまだ力がなくて。』としながらも『まだ力はなかったけれど、いいところまでいった。狙っていたものだけでなく望外の喜びみたいなものも出てきた』と賛辞を述べています。
 
また今村昌平監督は麻生久美子のことを大変気に留めて、その思いはわざわざ麻生久美子が育った土地を訪れるほど・・・。
また本人には
『映画に出続ける女優になってほしい』
『トレンディ・ドラマに出るような女優にはなってほしくない』
といったアドバイスを送っています。
 
間違いなく、今村昌平監督との出会いが本格派女優の道を歩む大きな糧となっていますね。

『映画女優 麻生久美子』の確立

最初から凄い巨匠と作品に取り組んだ麻生久美子は、その後も様々な名監督と作品に取り組んでいます。
相米慎二監督の映画『風花kaza-hana』(2001年公開)や大根仁監督の映画『モテキ』(2011年公開)に出演。
麻生久美子 映画 モテキ
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染谷将太がめちゃくちゃ尊敬する鬼才、園子温監督の映画『ラブ&ピース』(2015年)にも出演しています。
園子温監督とはドラマ『時効警察』(2006年)4話&6話と『帰ってきた時効警察』(2007年)3話&6話でも共演しています。
他にも
  • 『世界の中心で愛を叫ぶ』の行定勲(ゆきさだいさお)監督と 初主演映画『ひまわり』(2000年)・『贅沢な骨』(2001年)
  • 三谷幸喜監督と『有頂天ホテル』(2006年)
  • ホラー映画『リング』の中田秀夫監督と『ラストシーン』(2002年)
そういえば、中田秀夫監督と並び『Jホラー』の1人者とされる黒沢清監督と
  • 『ニンゲン合格』(1999年)
  • 『回路』(2001年)
等々それこそ『映画女優』の名に恥じない数々の名監督と取り組み、数多くの作品を生み出しています。
 
個人的には日本ミュージックビデオの先駆者 中野裕之監督が手掛けた2001年の映画『RED SHADOW赤影』の紅一点”くのいち”飛鳥役がイイですね♫
 
麻生久美子 若い頃 映画 red shadow
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飛鳥の『油断禁物の術』に自分もかかりたいと思った殿方が大勢いたのでは?・・・(笑)
 
映画の途中で飛鳥は逝ってしまうのですが、飛鳥がいなくなってからの映画のボルテージは急降下⤵
それほど、この映画にとって重要な存在でしたね、麻生久美子は・・・
麻生久美子 若い頃 映画 red shadow 2
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麻生久美子 若い頃の芸名に衝撃!?

麻生久美子 若い頃 芸名
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先日、2020年7月10日にオンエアされた『A-Studio+』に麻生久美子がゲスト出演しました。
正味24分のトーク番組の中でまず衝撃が走ったのは番組が始まってからわずか3分(笑)
 
初めは『アイドルが大好きで憧れて・・・』といった他愛もない話しをしていたのに3分後に突然
『いかがわしい雑誌に出たことがあって・・・』と発言し、司会の鶴瓶や『キスマイ』の藤ヶ谷太輔に動揺を与えておりました(笑)
 
その時の話しによると街でスカウトされてそこの事務所に入ってみたとのこと。
その時所属していた事務所はエキストラ会社だったので他の事務所に入っても別に良いやと思って入ったらしいW
で、初めてのお仕事が雑誌のグラビアの撮影と言われて、たしかタイ(だったと思う) に行き、水着を着て写真を撮って・・・で、出たらエ○本だった・・・と言った後に大笑いしていましたW
『その時に勝手に芸名を付けられて年齢も若かったので1歳上に書かれてて、それが今も旧芸名として書かれてて嫌だなあ~と思ってて』・・・
 
その旧芸名は具体的に公表していませんでしたがその若い頃の芸名は『広田絵美』ですW
で、調べてみたら・・・『熱烈投稿』『クリーム』『シュガー』といったいわゆる”お菓子系”(と言うらしい)エ○本に実際載っちゃってました(笑)
 
まあ中身は水着や体操着で、そんなに露出はしていませんでしたが・・・ちょっと衝撃的ですねW
 
特に『熱烈投稿』は後になって『カンヌ女優 麻生久美子が本誌94年11月号の表紙巻頭グラビアに・・・』等、何度となくアピールしておりました^^;
 
その後も後述する記事『麻生久美子 子供(小学校)時代の壮絶人生に驚き?』に記しているような強烈な幼少時代もあけっぴろげに話しをする、とても大らかな麻生久美子の姿がお茶の間を沸かせていましたW

麻生久美子 子供(小学校)時代の壮絶人生に驚き?

麻生久美子 若い頃 小学生
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麻生久美子は『日本アカデミー賞最優秀助演所有賞』を筆頭に数々の賞とキャリアを持つトップ女優です。
 
そんな麻生久美子が子供時代の壮絶人生を語ったのは2015年6月に放送されたNHKのトーク番組『スタジオパークからこんにちは』でのこと。
  • 「近所にはザリガニがウジャウジャいたので、よく釣って帰って、鍋でゆで、醤油をつけて食べていた」
  • 「甘エビみたいな感じ。おやつですけど食事にもなっていたかな」
  • 「街灯もないような自然に囲まれた田舎で育った“超自然児”だった」
  • 「道路が温かくて気持ちよかったので道路に寝転がって車を止める遊びをしていた」
  • 「あまりのやんちゃさに起こった母親に、家の前にあった森の木に縛りつけられたり、ヤケドするまで手の甲にお灸を据えられたりしていた」
上記番組では『おてんばな子供時代』ということで紹介されていましたが、ザリガニを食べるって(^_^;)・・・貧困以外の何物でもないことは明白ですよね💦
ましてや『ザリガニ』には寄生虫がいるため、下手をすれば命に関わる大変な事態を引き起こしたかもしれないのに(-_-;)
道路に寝転がって車を停めるのも、一歩間違えれば大惨事に・・・コワ。
 
以下のような話しもありました。
「実の父親がギャンブル好きで、麻雀にハマっている時は平気で一晩に20万円も負けてくるような性格。家にはしょっちゅう借金取りが来ていたそうです。母親はハンバーガー店、花屋、果ては山芋の花やカンナくずで手作りしたリースを、警察の目を避けながら路上で売っていたそうで、『布団の上で寝たことがない』というほど仕事を掛け持ちして麻生本人と弟を育てていました。ところが父親は、そんな母親を殴って財布の中のお金を全部もっていってしまうという、まさに絵に描いたようなDV夫。麻生は両親の間に入って『お母さんを殴らないでよ!』といつも母親をかばっていたそうです」(芸能評論家・小松立志氏)
        引用:ASAGEI plus 2015年9月12日 
  『麻生久美子 極貧過去からの成り上がり秘話「貧乏だった子供時代の壮絶実態」』より
そんな父親と当然のように別れた母親は子供を引き取り・女手一つで育てていきましたが極貧状態は続き、道端の野草を食べて飢えをしのいだこともあるそう(-_-;)
そんな状況なので新しい服など買えるはずもなく、いつも同じ服を着たり体操服で登校したり・・・いじめの対象になってしまったとのこと(ToT)
「『また同じの着てる。あいつんち、貧乏だからしょうがねよ』みたいな、そういう延長で石とか投げられたことがあって、それで額にまだ傷があるんですけど」
 とは、麻生自身のインタビューでの肉声だ。
さらに麻生の母親が明かしたエピソードによれば、
「突然、道路で押されて、車にひかれそうになったこともあった」
        引用:ASAGEI plus 2015年9月12日 
  『麻生久美子 極貧過去からの成り上がり秘話「貧乏だった子供時代の壮絶実態」』より
思うに『アイドル歌手になりたい』思いを単に夢としてではなく実現させるために行動した原動力は、貧困からの脱却=お金だったのでは?・・・
中学時代に藁をも掴む思いでエキストラ事務所の門をたたき、上記『麻生久美子 若い頃の芸名に衝撃!?』の項で書いたような怪しい雑誌関係者?に騙されそうになりながらも芸能界から逃げ出さなかったのはひとえに『お母さんを楽にさせてあげたい。弟に美味しいものを食べさせてあげたい。そしてなにより自分も美味しいものを食べたり綺麗な服を着たい』といったハングリー精神のなせる業だったのではと私は思いまする。
 
アイドル歌手にはなれなかったけど、今村昌平監督に見い出されて10代で『日本アカデミー賞最優秀助演女優賞』を勝ち取り本格的女優の道を歩み続けた麻生久美子。
 
『ふんわりと明るい』お嬢様的な雰囲気とは真逆の壮絶人生を知るにつれ麻生久美子の人間としての芯の強さ・懐の深さを感じずにはいられませんなあ。

まとめ

《麻生久美子 若い頃の芸名に衝撃!?》

  • 2020年7月10日の『A-Studio+』に麻生久美子がゲスト出演
  • 衝撃が走ったのは番組が始まってからわずか3分
  • 『いかがわしい雑誌に出たことがあって・・・』と発言、司会者を動揺させていた。
  • 高校1年生の頃、街を歩いているとスカウトされて事務所に入ってみた。
  • 当時、他の事務所に所属していたが、エキストラの事務所だったため、問題ないと思った。
  • 初めての仕事が雑誌のグラビアの撮影と言われて素直に応じて海外に撮影しに行った。
  • 帰ってみたらいかがわしい雑誌だった。
  • その雑誌には勝手に芸名を付けられていた。
  • 今でもその名は旧芸名として書かれている。
  • その旧芸名は『広田絵美』
  • いかがわしい雑誌では、その後カンヌ女優として幾度となく紹介されていた。

《麻生久美子 子供(小学校)時代の壮絶人生に驚き?》

  • 麻生久美子は子供時代にザリガニを釣って茹でて醤油につけて食べていた。
  • 道路に寝転がり車を止める危険な遊びをしていた。
  • 父がギャンブル好きでしょっちゅう借金取りが家に来ていた。
  • 母親は働き詰めの毎日だったが、時折父親に有り金を持っていかれたりして一向に楽にならなかった。
  • まもなく両親は離婚し、母親のもとで麻生久美子と弟は育てられたが貧困状況は続いた。
  • それは時折道端の野草を食べて飢えを凌ぐ程に貧しかった。
  • 貧しさがいじめの対象となり石を投げられたり道路に押されて車に轢かれそうになったりする程ひどかった。
  • 麻生久美子の実行力は小さい時からの貧困状態によるハングリー精神によって培われたものだと思われる。
  • お嬢様的な雰囲気を持つ麻生久美子の子供時代の壮絶人生を知るにつけ、人間としての芯の強さ・懐の深さを感じずにはいられない

新型コロナウイルスの猛威により大変な世の中になってしまった今日このごろですが、麻生久美子は新ドラマ『MIU404』でも元気な姿を見せています。これからも持ち前のハングリー精神を活かし、女優としてのエンターティメント性を発揮させて我々を楽しませてくれることと思います。