観月ありさの意外すぎる子供時代に迫る!旦那の足場事業がますます絶好調!?
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4歳の頃から子役モデルとして活躍し、股下84cm(しかも公称!)で八頭身以上と言われる抜群のスタイルを有し、15歳(1992年)で主演デビューしてからなんと27年間連続!で主演に抜擢され続けた観月ありさ。この連続主演記録はなんと19年間連続主演時点(2010年)でギネス認定されています!

そんなスターダム街道まっしぐらな観月ありさのイメージからかけ離れた、意外すぎる子供時代に迫ってみたいと思います。また、2015年に伴侶となった青山光司氏の経営する足場事業を主とする建築関連会社がますます絶好調とのことで、そのあたり検証していこうと思います。

 

平成の”ドラマ女王”観月ありさ

子役・モデルとして幼い頃から活躍している観月ありさ。平成に入ってからは正に怒涛の躍進ぶりを発揮します。

平成元年(1989年)13歳の時には、フジテレビ系『教師びんびん物語Ⅱ』で連続ドラマ初出演。

翌年(14歳 1990年)にはスカイコーポレーションからライジングプロダクションに移籍し、フジカラーやレナウン『スコレー』のCMで注目され、当時、同じくCMで人気急上昇の”宮沢りえ” “牧瀬里穂”と共に、名前の頭文字をとった『3M』と呼ばれていました。

更に翌年1991年には東宝映画『超少女REIKO』で映画初主演。1992年には日テレ『24時間テレビ 愛は地球を救う』にダウンタウンや楠田枝里子とともにメインパーソナリティーを務め、フジテレビ系『放課後』で連続ドラマの初主演を果たします。

この『放課後』から平成最後の今年(2019年)までに27年間、連続(作品としては31作)してテレビドラマの主演を演じています(今年はまだ主演未定ですが、まだ半年ありますので・・・)。

しかもその27年間の間には、たった一つのドラマ(1991年『もう誰も愛さない』主演吉田栄作)以外では助演をしたことが無い!!!(ゲスト出演・友情出演を除く。また今年2019年4月19日にスタートしたテレビ東京系連続ドラマ『執事 西園寺の名推理2』では上川達也主演に山崎和歌子役で出演しています)。

正に”平成のドラマ女王”と呼ぶにふさわしい実績です!

※観月ありさの代表作『ナースのお仕事』で相棒役だった『松下由樹』の記事はコチラ↴

歌手としても活躍している観月ありさ

歌手としても活躍している観月ありさ

女優としての位置づけがあまりにも凄いので、見落としがちなのですが観月ありさは歌手としても活躍していて、1991年にリリースされた歌手としてのデビュー曲『伝説の少女』(尾崎亜美作詞作曲)ではオリコンシングルチャート第5位にまでなっています。そしてその年には『レコード大賞 新人賞』を受賞しています。かなり注目されていたんですね。

また自分が主演しているドラマの主題歌も歌っており(つまり主題歌も主演W)、1992年の『放課後』から2003年の『ダイヤモンドガール』までは、ほとんど主演と主題歌を兼任しているといった徹底ぶり。それ以降は女優業があまりにも多忙すぎて、歌手業をセーブせざるをえなくなり、主題歌は控えていたけれど、2008年の『斎藤さん』では歌っているんですねえ。

観月ありさが歌に力を入れているのは所属している芸能事務所(プロダクション)にも関係があるのかも知れません。

というのも所属事務所の”ライジングプロダクション”は平哲夫(ジョニー平)と荻野目洋子が立ち上げた事務所で、1991年に観月ありさを歌手デビューさせたことによって芸能事務所の地位を確立させたからなんですね。

その後、この”ライジングプロダクション”は1995年に”マックス”と”スピード”をデビューさせ、1996年には、昨年『U.S.A』(カ~モン ベビー アメリカ♪ってやつね♪)といった空前のヒットを飛ばした”ダ・パンプ”をデビューさせています。

観月ありさは”マックス”や”スピード”や、あの”ダ・パンプ”の先輩なんですね♪

なんだか歌手としても”女王”なイメージが漂い始めましたねえ(笑)

意外すぎる子供時代に迫る

観月ありさは1976年12月5日生まれで、現在(2019年)42歳です。身長は169cmなので女性としては高いですね。しかも長身だけではなく、足が長いことでも評判で、2007年にはパーカッシオ美脚大賞を受賞しています。

観月ありさ 子供時代
出典:https://www.instagram.com/alisa_mizuki

上の写真は子役やモデルとして活動し始めた4歳の頃の写真です。左側の写真は当時社会現象にまでなり、絶大的な人気を誇っていた”ピンクレディー”の”UFO”のポーズで、右は置物と一体化しているつもりのポーズ(笑)。

とても可愛らしいのですが、どこか大人びた感じで当時からすでにモデルとしての風格が備わっていたことに驚かされます。

高身長・脚長・スタイル抜群・小さい頃より大人びた美貌・・・ここまで揃うと、一体どんなDNAなのか気になってきます♪

父母は誰?

それではそのDNAの基=父母のことを調べてみます。

父親は姓が観月で名は知られていません。純日本人とのこと。

母親は観月純さん。観月純さんは母親がアメリカ人、父親が日本人なので、ハーフということになります。

ハーフの母と日本人の父をもつ観月ありさはクオーターということになります。日本人離れした体型と小さい頃より大人びた感じがするのは、クオーターだからかもしれません。

※同じクオーターの『黒木メイサ』の記事はコチラ↴

”観月ありさ”という名は本名で、父親が名付けました。

あ・・・明るく

り・・・利発

さ・・・爽やか

な子供になって欲しいと言った願いがこもっているそうです。素敵な名前です。

ただし、このご両親は観月ありさが産まれてすぐに離婚してしまいました。

離婚の原因は観月ありさの母の金銭トラブルによるものとされています。綺麗だがお金使いも派手な母親に父親はついていけなくなったようです。

母親の再婚

母親に引き取られた観月ありさは4歳の時に子役 モデルとして活動を始めます。

そして5歳になった時には母親は再婚、”宮川姓”を名乗ります。観月ありさもこの宮川姓を名乗り、”宮川ありさ”として芸能活動をしていますが、しばらくしてから観月ありさに戻しています。

母、再婚相手とのダブルトラブル

子役 モデルとして順調な活躍をしている観月ありさ。その後も前述のように平成に入ってからは飛躍的に活動の場を広げていきました。それに比例して増え続ける収入を管理するために、両親(父親は義父)は個人事務所を設立し、観月ありさのマネージメントを始めます。

小学校4年生の時に、子役として芸能界入りした観月だが、その家庭環境は波乱万丈。スポーツ誌記者が振り返る。

「両親は観月が生まれて間もなく離婚。実母は再婚したものの、87年に大麻所持で逮捕され勾留されました。00年には、当時不倫相手だった13歳下の男と部屋にいた際、麻薬Gメンに踏み込まれ、薬物所持の現行犯で逮捕されました。覚醒剤だけでなく、LSDなども現場に落ちていた」

         引用:www.excite.co.jp/news/article/Asagei_73169/

上記のとおり、観月ありさが幼少の時より、その家庭環境には問題があったようです。そして2000年に起きた母親逮捕をきっかけに、両親が立ち上げた個人事務所でのマネージメント問題が発覚、水面下での家庭問題が表沙汰になっていったようです。

2000年といえばテレビドラマ『ナースのお仕事』が大好評で”パート3”が4月にオンエアされた頃です。正に人気絶頂の頃の事件発覚。

平成12年(注・00年)5月ころになって、K(義父)がM社(両親が立ち上げた個人会社)を事実上閉鎖することが判りました。理由は明らかでなかったのですが、・・・・・・蓄えられたお金を別会社に引き継ぐ必要が生じました。・・・・・・ただ一つ、明らかになったことは、M社にも、私にも、母にも、たくわえが一切なかったことです>
この時点で観月はK氏に不信を募らせ、<絶対に縁を切ろうと思い・・・・・・完全に離縁>したことまで告白している。さらに-。
<私は凄く怒っており、今でも怒りに震えるほどです。・・・・・・長年一生懸命働き稼いだ何億円もの大事なお金を奪われ、にも拘わらず、これは仕方がなかったなどと思える筈はないのです>
<母が少しでもお金を取り戻せればと思っています(後略)平成19年5月9日>
                引用 週刊ポスト

事実、母親の宮川純さんは、再婚相手(観月ありさにとって義理の父)と2003年(平成15年)に離婚しています。

上記、訴訟問題は義父側の『使い込んだのは実母のほうだ』との反論もあり、泥沼化の一途をたどることとなりました。

まとめ

平成時代を一貫して、華やかな芸能界の第一線で大活躍をしていた観月ありさ。もちろん、舞台やお芝居等、仕事上では人並みならぬ苦労があったことは想像に難くありません。しかし仕事の疲れを癒やし、安らぎを得るために無くてはならない家庭環境に大きな問題があったことは大変意外でした。

それにも負けず、今日まで明るさ、美しさを失わずに活躍している観月ありさには脱帽ものです。

その精神的なタフさ、前向きなメンタルさ、大いに見習うべき所があると思います。

 

旦那の足場事業がますます絶好調

観月ありさはKRH株式会社 代表取締役社長 青山光司氏と2015年3月21日に婚姻届を提出、翌22日に公表しました。

お相手の青山光司氏は過去にタレントの上原さくらと2013年3月に泥沼離婚をしており、そのことを知っている観月ありさは青山氏との結婚には当初否定的でした。しかし、青山光司氏の猛アプローチで、1年半との交際を経て結婚に踏み切ったとのことです。

旦那様は”フェラーリ王子”

旦那様は”フェラーリ王子”
https://car.watch.impress.co.jp

婚約指輪は1億円以上とのこと。また、青山光司氏は”フェラーリ王子”と呼ばれており、その所有する車は以下の通り

  • 1AMG CLKクラス CLK DTM カブリオレ
  • 2アストンマーチン V12 ヴァンキッシュ
  • 3シボレー カマロ 1st
  • 4スマート フォーツー ブラバス
  • 5トヨタ アルファード ロイヤルラウンジ
  • 6フェラーリ F1 F310
  • 7フェラーリ F40
  • 8フェラーリ F40LM
  • 9フェラーリ F430 GT
  • 10フェラーリ 430 スクーデリア
  • 11フェラーリ F50
  • 12フェラーリ FXX
  • 13フェラーリ エンツォ
  • 14フェラーリ チャレンジストラダーレ
  • 15フェラーリ スクーデリア スパイダー 16M
  • 16マセラティ MC12 コルサ
  • 17ロールスロイス ファントムVⅡEWB
  • 18フェラーリ599
  • 19BMW X5M
  • 20ジャガー Eタイプ III クーペ
  • 21シボレー コルベット Stingray C2
  • 22トヨタ アルファード 3.5Executive Lounge S   

※参照 : https://asdb.jp/tag/e01/  出典内容によると2018年2月頃所有のものと思われる。

以前は、”ポルシェ王子”と呼んでも良いくらいにポルシェを数多く所有していたが現在は所有していないとのこと。

それはともかく、所有しているフェラーリの中にはF1マシーンがあります!(6)

F1チームでもトップクラスの名門であるフェラーリは唯一F1を公式販売していて、価格は1~3億円!

他の車も数千万するものがズラーリ22台!フェラーリだけでも半分の11台!さすが”フェラーリ王子”と異名を取るだけのことはありますW

それにしても車の価格、トータルいくらになるのでしょうか?車庫スペースや維持費も含めたら、おそらく想像を絶するくらいの費用がかかるかと思います。

1億円の婚約指輪に想像を絶する車の所有・・・・

また観月ありさとの新居建設のための土地は都内の超高級住宅地で面積600平方メートル(180坪)。地上3階建ての大豪邸は延床面積900平方メートルにもなり、土地10億、建物6億、合わせて16億円とも報じられていました。・・・一体、どんな仕事をすれば、こんなに稼げるのでしょうか?

観月ありさの旦那 青山光司氏の事業・・・気になります。

旦那の事業は?

旦那の足場事業がますます絶好調
出典:https://entertainment-topics.jp

青山光司氏の経営している会社は『KRH株式会社』です。

事業内容は建設関連の『くさび式足場』のメーカー・販売・レンタル・施工業を主体としています。

足場って建物の外壁工事をする時には、必ずと言って良いほど使われているもので、街を歩いていても足場が組まれている建物は良く見かけますよね。

以前の足場って低層住宅用だったのですが、中高層用に適応出来るように技術革新したのが『KRH』で、貯水タンクやらコンサート設営やら、需要は多岐に渡り、特に2020年『東京五輪』開催に伴う建設需要の増加で業績の見通しは明るいと言われています。

事業所も岐阜の本社を始め、静岡、東京。さいたま、神奈川、兵庫、宮城と支店、営業所を構え、幅広く活躍の場を伸ばしています。

また、以前にはモータースポーツ事業も行なっていてJLMC(ジャパン・ルマン・チャレンジ)、SUPER GTなどの日本で行われるレースに参加し、2006年、2007年にはシリーズチャンピオン獲得とかウイキペディアにも載っていた様ですが、現在、このことは記されていません。フェラーリ好きが昂じてのことなのでしょうが、今は堅実な事業展開をされているようです。

というのも、昨年(2018年)10月23日よりKRH株式会社は経営体制をホールディングス(持ち株会社)体制とし、㈱ルーティング、㈲カイズといった同じ建設足場関係会社とのグループ経営を強化し始めたからなんですね。

(参照http://krh.co.jp/topics#576)

売上高も2018年度連結で195億円となっており、順調なのではないでしょうか。

 

まとめ

10年程前までは”フェラーリ王子”と呼ばれ、上原さくらとの泥沼離婚劇もあり、社会人的にはマイナスなイメージが拭いきれない観月ありさの旦那 青山光司氏ですが、営業の手腕を見込まれ、2001年当時28歳より代表取締役に就任し、18年間、今日まで会社を大きくしてきた実績は評価されるべきことと思います。

また1年足らずで別居、2年で離婚となった前妻 上原さくらの場合と違い、観月ありさとは結婚後はや4年が過ぎても未だ不穏な噂とは無縁な状態。

幼い頃より家庭環境に恵まれなかった観月ありさを今後とも幸せに導くことによって、そのマイナスなイメージが一転していくことかと思います。

最後に・・・青山光司氏が観月ありさとの新居のために土地を購入したのが、2014年2月。翌2015年3月に結婚し、1年以上新居建設の構想を経て2016年12月に着工。17年12月に完成予定と言われていましたが2019年3月の時点では未だ完成していないとのこと(女性自身より)。

あまりにもスケールが大きくて、様々な諸問題が発生しての工期遅れとのことですが、ぜひ夢の新居の完成、実現してもらいたいですね。

今後ともお二人の動向には注目していきたいと思います。