出典:https://www.shortshorts.org/

ブログというものが未だ世の中に浸透していなかった2004年に、『しょこたん☆ぶろぐ』をスタートさせた中川翔子。今ではアメブロ・オフィシャルブロガーの殿堂入りを果たしているほどの存在となっています。

他にも漫画やイラストに造詣が深く、その絵はプロ並みとの評判が・・・。また、昨年(2018年)より放映されているテレビ・コマーシャルが、すでに他界している父と深く関わり合いのあるものとなっており、注目を集めています。

そんな多才で可愛らしい中川翔子=しょこたん に関して、いろいろ検証したいと思います。

マルチタレント中川翔子

中川翔子は”マルチタレント”とか”バラエティ・アイドル”とか言われています。

そもそも”マルチタレント”とはどういったものなのでしょうか?

”タレント”とは”才能・技量”といった意味合いがあります。一方、”マルチ”とは”複数の”といった意味なので、

”マルチタレント”は”複数の才能・技能”=”多才な人”ということになりますね。

まあ、日本では芸能人のことを”タレント”と呼んだりしていますが、芸能界で言うところの”マルチ・タレント”って、ジャンルを超えて活躍する芸能人のことを言い表しているようです。

芸能人は良い意味でも悪い意味でも常に注目されていて、大衆が納得しないと、すぐにデスられたり飽きられて忘れ去られたりするので💦、生き残るためにはそれこそ、才能・技量がないと難しいと思います。

その点、中川翔子は”マルチタレント”として長年君臨しているので、文字通り”多才”であることを証明されている様なものですよね。

そんな中川翔子=しょこたん の多才ぶりをちょっとのぞいてみましょう♪

歌唱力・演技力

昨年(2018年)11月にリリースされた中川翔子の『Heavy Girl』のミュージックビデオがYoutubuにて公開されています。

そのMV(ミュージックビデオ)はいきなり『まだ全然好きなんですよ』と言って突然、男に振られて動揺した気持ちをSNSで訴えている女性を演じています。

そのMVを見た時は、『あれ?これ本当の話?』って思わずドキドキしてしまうほど真に迫っていました。

とかくこういう演技は臭くなりがちですがW、中川翔子は凄くリアルに演じ切っています。

そして中川翔子がSNSで話しかけている相手の人物に突如!自分がなってしまったような・・・本当に自分が相談に乗ってるような感覚に陥りますW。これは中川翔子の演技が真に迫っているがゆえの為せる技と確信致しました。素晴らしい演技力です。

その後に続く歌も申し分ない歌唱力で歌い上げています。

また昨年(2018年)5月5日に開催された”バースデーライブ”では自身の年齢にちなみ、昼夜公演それぞれに33曲ずつ、その日66曲を歌い上げています(本人は33歳ではなくLevel33とゲームのLevelであることを主張していましたがW。)。1日66曲歌い切るって凄いですよね!

中川翔子は歌唱力・演技力ともに申し分ない実力を備えたタレントです。

アイドル力

歌唱力とは別にアイドル性も才能の一つです。ルックスと声の可愛さ、何気ない仕草のキュートさ。中川翔子はこれらを兼ね備えてると思いますが、あなたはどう思います?

客観的に見ましても、女性アイドルグループ”でんぱ組.inc とコラボし、”しょこたん♥でんぱ組”を結成したりしているので、アイドルとしても十分認識されていると思います。

アニメ・イラスト

アニメやイラストがプロ並みにうまいことはネットでもたびたび話題になっているので、このことはもう異論はないですね。

中川翔子は昨年(2018)、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2018の『CGアニメーション部門』の審査員の一人として抜擢されています。

他の審査員として

新城毅彦・・・大ヒットした映画『僕の初恋を君に捧ぐ』を始め、『パラダイス・キス』(2011年)、 『潔く柔く』(2013年)、『四月は君の嘘』(2016年)、『ひるなかの流星』(2017年)など、話題作を手がける映画監督。

杉山知之・・・デジタルハリウッド大学の学長であり、工学博士。

のお二人が審査員として参加されています。

上記の様な錚々たる方達と肩を並べてアニメーションを審査する立場になるってだけで、その造詣の深さ、実力をうかがい知ることが出来ますよね。

声優・吹き替え

中川翔子はいたるところでアニメオタクを公言していますが、その延長線上のお仕事と言っても良いのでしょうか・・・声優としても幅広く活躍していますね。

でも、アニメ業界はディープな世界で、有名人が声優を務めることに対し、物議を醸すこともあるみたいです。

気になったので、批判的意見を色々拝見したところ、批判の拠り所は本人の実力としてより、アニメ・キャラクターのボイス・イメージがファンのそれと合致するか否か?に拠っている様に思いました。

また、中川翔子本人のイメージが強いため、その声を聴くと中川翔子そのものが思い浮かんでしまい、キャラクターの声として聴き手が感情移入しにくい・・・といった声もありました。

そのことに関しては本人もかなり悩んでいた時期もあった様でしたが、声優界のカリスマ野沢雅子さんから『あまり考え過ぎずに、このキャラは自分のこの声なんだと思うことが大事なんだよ』と言われて心救われたとのこと。

確かに他人の気持ちにまで、立ち入ること出来ませんからね。考えても仕方ないことだと思います。

上記の様な経緯もあって、声優として実力が有るのか無いのか・・・判断するのがとても難しいのですが、これから一つ一つ、客観的事実を見て判断してみましょう~。

  • 2006年に実施された少年ジャンプ『アイシールド21』のアニメオーディションで見事合格、声優デビューを果たす
  • 2011年に公開した、ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』のヒロイン・ラプンツェル役が好評。
  • その後、ラプンツェルのシリーズ4作品でラプンツェル役を任される。
  • 劇場版『ポケットモンスター』シリーズに2007年より昨年(2018年)まで毎年、違った役柄にて参加。

 

もうここまで言えば、わかりますよね。『売れてきたタレントがアニメ好きそうだから、やらせてみっか?』的なノリで仕事を任されたわけではないことが(笑)。

2006年、アニメオーディションに合格してから13年間の声優歴を持つ中川翔子。これからも声優として、ますます活躍する期待大ですね♪

その他

ヌンチャク使い

ブルース・リーやジャッキー・チェンの大ファンであり、カンフー映画好きが興じて、ヌンチャクをかなり練習したようで、その腕前を番組企画等、いたるところで披露しています。

ヌンチャク技はかなり以前より習得しているようで、2004年(当時19歳)にはお台場でマイ・ヌンチャクとマイ・トラックスーツを身にまとい、お茶の間でヌンチャク裁きを披露して、広東語で自己紹介するまで徹底しています。最後にはザキヤマさんの頭の上にあるりんごをヌンチャクでふっとばし、番組スタッフの度肝を抜いていました。

スキューバダイビング

オタク=インドアなイメージとは裏腹に、2010年にはスキューバダイビングの資格を取得しています。

そして2011年にはダイビング雑誌の『月刊ダイバー1月号』に表紙として登場しているのですが、ここでもアニメオタクぶりを発揮!(笑)、その表紙ではコスプレウエット姿を披露しているんですねW。

そのコスプレ・ウエットの元ネタは2007年公開の『エヴァンゲリヲン新劇場版』に登場したキャラクター”真希波・マリ・イラストリアス”のパイロットスーツで、中川翔子のウエットスーツは見事にそれを再現しています。

実際にダイビングもしているようで、過去にも番組でフリーダイビングを披露しており、海で生息する”スカシカシパン”を見つける姿も放映されています。

え?”スカシカシパン”って何かって?・・・

うにの仲間で、体に穴が空いていることからこの名前が付いたのだそう。れっきとした海の生物みたいです。

中川翔子は2007年春頃からこの”スカシカシパン”に興味を持ち初め、早速”スカシカシパンマン”なるキャラクターを創り、2008年1月にはローソン8.000店舗で中川翔子がプロデュースした菓子パン『スカシカシパン』を販売。1週間で50万個を売る大ヒットとなったそうな!凄いですね。

この”スカシカシパンマン”のキャラ設定が傑作で、この”スカシカシパンマン”見た目は戦隊ヒーローみたいだが、実はただの変態で、”スカシカシパンのすかし穴から女性の下着を透かし見る”のだそうW

で、このキャラクターでアニメを創り、ニンテンド-でゲームを創り、米国アーチスト・ダグラステンナペル氏による米国版スカシカシパンマンをデビューさせたりしています。

目の付け所が異次元だし(笑)、行動力が半端ない!

中川翔子、恐るべし!(笑)

他界した父との衝撃CM共演!?

これまで中川翔子の多才ぶりを色々と見てまいりましたが、その才覚は若くして他界した父親の影響が大きいようです。

父親は中川勝彦氏

出典:https://orionfdn.org/

その父親の名前は中川勝彦氏です。1962年7月生まれなので、現在、生きていたら56歳ですね。

1978年に公立中学から慶應義塾高等学校に入学しているので、頭もかなり良かったんでしょうね。家庭も裕福だったのでしょう。

この頃、一番熱かったのがロックを始めとした音楽でした♪

現在、ロックの大御所として君臨している『キッス』や『エアロスミス』、そして映画『ボヘミアン・ラプソディー』の空前のヒットにより、昨年から再注目されている『クイーン』がまだ若手として注目され、本人たちもビッグになる野心に燃えていた頃で、次々と来日しては話題となり、その熱を当時の若者達は肌で感じ取っていました。

中川勝彦氏もご多分に漏れず、高校時代にバンド活動を始め、高校3年生の時(1980年)にNHK『ヤング・ミュージック・フェスティバル』に出場して好評を博し、デビューのきっかけを作っています。

その後は当時の日本の歌謡界では珍しい、イギリスのグラムロック(デビッド・ボウイ等)を意識したビジュアル系アーティストとして、人気を博していました。

ビジュアル系なのでルックスは当然良くなければ務まりません(笑)。いやあ、確かに!ほんま”いい男”ですよW。

”いい男”がロックを演れば当然モテるわけで、その結果、22歳に”出来ちゃった婚”しています。その子供が中川翔子なのでした。

でも、当時の日本は、まだまだ不良イメージのロックがメジャー(主流)になりきれなくて、(なんせ、あのCharでさえ、デビュー当初は歌謡曲路線でアイドル的な扱いを強いられていたのだからW。それに対し、Charは思いっきり茶化してたけどW)スキャンダラスな出来ちゃった婚はずーと、秘密にされてたわけなんですね。

そして1992年9月に中川勝彦氏は『急性骨髄性白血病』を発症。9ヶ月の闘病生活を経て復帰しましたが、1994年8月に再発し、翌月9月17日に亡くなっています。享年32歳。中川翔子が9歳の時です。

父親として知られたのはいつ頃?

この事実はその後もずーと封印されていて、知っていたのは関係者か熱烈なファンのごく一部の人だけでした。

そして、2001年に中川翔子がデビューしてからも、しばらくは知られていなかったんです。

しかし、この事実はあっという間に広く知れ渡っていきました。

それは2006年に放映された日テレの『24時間テレビ』。その中で、中川勝彦氏が作った絵本と中川翔子の絆が紹介され、『読んでみたい』といった声が広がっていった様です。

父親との絆

一体、その絵本はどんな絵本なのでしょうか?

それは中川勝彦氏が亡くなる1年前(1993年)、病床で完成させたと言われている絵本です。

絵本の題名は『道の記憶』。ストーリーをかいつまむと、”広大なアフリカに、ダチョウのニポが初めて大海に出て、世界のあり方を知っていく感動的な旅のドラマ”。

この絵本は幼い中川翔子も手伝って完成させたようで、まさに親子のコラボ作品。中川勝彦氏は、目の不自由な人や字の読めない子供のために、自分で本を朗読し、テープに収録もしていました。

中川翔子自身もこの絵本のことは強く記憶に残っているようで、『父が一度退院できて家に帰ってきたとき、絵本を必死で描いていたことを覚えています。イメージはいつもにこにこして穏やかなイメージの父だったんですが、すごく一生懸命にベッドの上で描いていました。』と語っています。

中川勝彦氏の、”まだ幼い娘に対し自分がいなくなっても寄り添ってあげたい、生きた証しを残したい”といった思いが感じられて、胸が熱くなる思いがします。

この絵本は最初、自費出版で販売され絶版されていましたが、2011年にテープの内容をCDにして、復刻されました。

父への思い

しかし、とかく世間は話題になると、スキャンダルな話しも浮上しやすいもので、この復刻版が発売される前に生前の中川勝彦氏の不倫が発覚。亡くなってから17年も後のことですが、中川翔子にとってはかなりショックだったようです。

良く”有名税”と言われるように、注目され話題になってくると、いい話しも悪い話しも湧いて出てきがちです。ロックスターなんだから、浮いた話しの一つや二つはあっても、不思議は無いと言えなくもないけれど、女性の中川翔子にとっては父親のスキャンダルは知りたくなかったでしょう。その時の気持ちを考えると本当に気の毒になります。

実際に”女性スキャンダルが出て、ものすごい反発心を抱いたこともありました”と週刊誌の取材に答えていますし、一時、父親に対し、心離れた時期もあったようです。

しかし2015年のTV番組出演の際に、中川勝彦氏が『骨髄移植をするために、翔子の身体に傷をつけるなんて耐えられない』と語っていたことを知り、父親が娘である自分をとても大切に考えてくれていたことを初めて知ったそうです。

父(ミュージシャン、俳優の中川勝彦さん)は三十二歳の時に白血病で他界しました。病気になった当時、私は八歳か九歳。骨髄移植という方法があることを母や祖母から聞いて「嫌だ、怖い」と言っていました。父は「小さな翔子に負担はかけられない」と話していたそうです。でも、私がドナー(提供者)になっていたら助けられたのかもしれない。もやもやした気持ちをずっと抱えていました。

          引用:2018年8月12日東京新聞

実際にドナー登録出来る年齢は18歳以上、54歳以下なので、もし、中川翔子の骨髄が適合したとしても、移植は出来ませんでした。でも自分が『怖い』と言ったことで父が助からなかったのでは・・・といった、やるせない思いをずーっと持ち続けていたんですね。

父との衝撃CM共演

そんな折、ACジャパン骨髄バンク支援キャンペーンのCM出演依頼が来ます。中川翔子にとっては願ってもない絶好の好機と思ったことでしょう。

しかもこのCMは2018年7月からスタートのもの。中川翔子33歳。ちょうど父中川勝彦氏が亡くなった年齢を迎えてのことで、単なる偶然とは思えません。

このCMで中川翔子は父中川勝彦の画像とともに出演、父親のことを語りながら、父娘との共演を果たしています。

この共演は人智を超えた力で導かれた気がします。正しく衝撃的なCM共演といえるでしょう。

”自分と父との共演によって、より多くの人が救われるきっかけを作っていきたい”といったメッセージを強く感じさせる素晴らしいCMだと思います。

中川翔子 なぜ絵がプロ並みにうまいのか?

女優、アイドル、歌手、声優、ブログの女王・・・様々な分野で大活躍の中川翔子。

趣味・特技も、

①読書 ②映画鑑賞 ③マンガ ④アニメ ⑤テレビゲーム ⑥写経 ⑦カンフー ⑧スキューバダイビング

⑨中国語(広東語) ⑩イラスト ⑪ヌンチャク・・・etc

とまあ、幅広いこと(笑)。

しかも、そのどれもが、かなりのLevelにまで精通していると言われていますが、特に漫画やイラストには造詣が深く、その絵はプロ並みとの定評が・・・

中川翔子 なぜ絵がプロ並みにうまいのか?
出典:http://zyouhot.com/archives/1409

上に貼ってある画像は中川翔子本人が、飼い猫”マミタス”と”自分のコスプレ姿”を描いたもので、下書きなしの一発描きとのこと!

人物と猫の位置や大きさ、構成等、下書きなしでこんなにも完成度が高いとは・・・う、うまい!うますぎる!

しかも、上の絵は可愛らしいアニメ風ですが、楳図かずお風ホラーなものやリアルなものまでその画風はものすごく幅広い!

下書きもなしで書くことが多いので、仕上げるスピードも早い!

中川翔子はなぜこんなにも絵がうまいのか?そのあたり、検証していきたいと思います。

絵画好きは父の影響

絵を描いたり、漫画を読んだりするのが好きなのは父の影響です。五歳のころ、「これを読まないとちゃんとした大人になれないぞ」と「ゲゲゲの鬼太郎」全巻を買ってきました。

              引用:2018年8月12日東京新聞

上記インタビューのとおり、アニメ好き、絵画好きなのは父である中川勝彦氏の影響が大きいようです。

父親の中川勝彦氏は自らスケッチや絵本を書くほど絵が大好き。

時には楽しげに、時には真剣に絵を書く父親の姿を中川翔子は幼い時に身近で見ていたんですね。影響を受けない訳がないW。

ユニークなのは『ゲゲゲの鬼太郎』をバイブルのように娘に渡していること。他にも中川勝彦氏はホラー漫画の巨匠 楳図かずおの漫画が大好きで、中川翔子に買い与えています。私も小さい時に楳図かずお氏の漫画を読んでましたが、怖くてまともに見れなかった記憶があります。しかし、中川翔子は大好きになって模写していたとのこと(笑)。正しく父親のDNAを強烈に受け継いだのでしょうねW。

幼少時代から絵の武者修行?

絵が大好きな父親から、強力なDNAを受け継いだ中川翔子は、心の赴くまま、子供の頃から絵を描きまくっていたとのこと。

家にいる時は少女漫画の『なかよし』『りぼん』を丸々一冊模写したりしていたと語っています。

丸々1冊ですよ!普通では考えられない量です。しかも強要されてやってた訳ではない。好きでやってたら、1冊書いちゃったあ♪・・・てな感じなんでしょうね。

”好きこそものの上手なれ”・・・好きだから自然と技術的なことも模索しているうちに発見していったことと思います。そしてうまくなったことに喜びを見出し、更に夢中になる。一芸に秀でている人に共通な上達の王道を幼い頃より無意識に歩いていたんですねえ。凄いです。

それと平行して、父親から買ってもらった楳図かずおの漫画も良く模写していたようです。『書いているうちに写経のように精神統一が出来てきた』と語る中川翔子。『油断すると楳図かずお風になってしまう』という程、そのタッチは身体に染み付いているようです。

少女マンガと楳図かずおのホラー漫画。対極的な漫画をひたすら描きまくったことで、様々な画風を描ける様になったんですね。

正に絵画の乱取り、武者修行です(笑)

通信講座で基礎を学ぶ

絵がプロ並みにうまい中川翔子

そうこうしているうちに、少女漫画の通信講座を受講するようになります。

それはビデオが付いていて、Gペンの使い方、スクリーントーンの貼り方、定規の使い方、筆ペンでの髪のツヤベタなど基本的なことを学んだようです。

好きなことが上手くなりたい。新たな技術の発見に対するワクワク感!まるで砂に染み込む水の様に、中川翔子は絵の基本的技術を吸収していったことと思います。

同時にペン先やスクリーントーン、墨汁、カラーマーカー等、画材も充実させていったとのこと。道具って大切ですよね。道具の良し悪しも絵の上達には欠かせない要素だと思います。

絵がプロ並みにうまい中川翔子

横浜美術大生に聞いた絵が上手いと思う有名人1位に選ばれた中川翔子。その選んだ理由はというと『リアル系、楳図かずお系、萌え系何でも描けるから』

ネットやテレビの企画、イベント等、到るところでイラストの腕前を披露しているので、作品はどんどん増えているし、そのスキルはますます磨かれていくことでしょう。

美大生にも多く認められる程の腕を持つ中川翔子。プロ級の腕前であることを立証されたといってもいいでしょう。今後の活躍も大いに期待!です♪

まとめ

《他界した父との衝撃CM共演》

  • 父親は中川勝彦氏。ミュージシャンで、声優・俳優・ラジオのパーソナリティと幅広く活躍するマルチタレント。
  • 父、中川勝彦は急性骨髄性白血病で1994年に32歳で他界。
  • 中川勝彦が中川翔子の父親と広く知られたのは2006年の日テレ『24時間テレビ』の企画コーナー。
  • その企画コーナーにて”中川勝彦氏の作った絵本と娘翔子との絆”が紹介された。
  • 絵本が話題になると同時に中川勝彦氏のスキャンダルが浮上、翔子の父に対する気持ちが離れる。
  • 2015年の番組内にて骨髄移植に関して、娘、翔子を大切に気遣う父の思いを知る。
  • 父親の骨髄移植に関する話しの際、自分が発した発言や父の思い、後悔の念等、混沌とした気持ちを抱える。
  • 2018年 ACジャパン骨髄バンク支援キャンペーンのCM出演依頼を引き受け、亡くなった父との共演を果たす。
  • 父との共演CMを果たした時は、父中川勝彦氏が亡くなった年齢であり、人智を超えた衝撃的共演である。

《なぜ絵がプロ並みにうまいのか?》

  • 絵が大好きなのは父、中川勝彦の強烈なDNAによる影響。
  • その画風は可愛いアニメから楳図かずお風ホラー、リアル系まで非常に幅広い
  • 下書きなしの一発描きが得意。その絵の配置や構成等は一発描きとは信じられないほど完成度が高い。
  • 描き上げるスピードも早い。
  • 幼少時代から絵を書くのが好きで少女漫画1冊を丸々模写したりしてた。
  • 少女漫画の通信講座を受講し、イラストの基本的技術を習得。その頃から道具も揃えるようになる。
  • 父親のDNA・絵の武者修行・通信講座等によって絵の技術を磨いており、今後も成長し続けている。

中川翔子が様々な顔を持つマルチタレントとして君臨しているのはダテではないことが良くわかりました。

最後に私事となりますが、自分は中川翔子の”座右の銘”が大好きなんですね♪・・・それは

中川翔子の座右の銘=『貪欲』

“追いつかずに焦る感じが好き”なんだって。この思いが中川翔子の原点なんだなと思います。

しょこたん、大いに楽しんでね♪~おいらも楽しむぜい♪