吉永小百合の映画はつまらないってホント? 夫は今も健在!?

昭和の銀幕のスター!吉永小百合。ファンは”サユリスト”と称し、特に団塊世代(約70歳)以上の方に多いです。その”サユリスト”を自認する人は一般人に限らず、芸能人や著名人も多く存在し、まさに女優として不動の地位を得ている大女優ですね。

その吉永小百合が出演している肝心の映画が『つまらないよ』とか『見たこと無いや』と言った声を耳にしたので、そのあたりホントなのか検証していきたいと思います。

また、一般人・芸能人・著名人あらゆる方たちを魅了して止まないこの大女優を射止めた男性もチョット気になりますよね? そのあたりもチェックしたいと思います♪

吉永小百合の映画はつまらないってホント?

吉永小百合の映画はつまらないってホント?

まずは、吉永小百合は世間的にどんなイメージを持たれているのか見ていきたいと思います。

吉永小百合のイメージ

吉永小百合がその熱狂的なファンである”サユリスト”を爆発的に生み出し、今日まで確固たる地位を築いたのは1960年代のことと思います。

当時、映画界では男性アクション路線がマンネリ化してきており、新たに打ち出された吉永小百合と浜田光夫コンビの純愛青春ものは新風をもたらし、日本映画界に一大センセーションを巻き起こしました。吉永小百合は『日活の看板女優』としてメチャクチャ注目されたんですね。

特に『キューポラのある街』やベストセラーの映画化『愛と死をみつめて』は大ヒットしましたし、1959年(当時14歳)にデビューしてから、早稲田大学に入学した1965年(当時20歳)までのたった5年間に60本もの映画に出演しています!最新作の『北の桜守』(2018年3月10日公開)が120本目なので、女優生活60年間に作成した全作品の実に半数を占めているんですね!

その露出度の高さに比例して、ブロマイドなどは店頭に置くと飛ぶように売り切れてしまう状況が続いたそうで、年間売上実績では1964年・1968年・1969年に女性部門1位となっています。

そのイメージは役柄も相まって一言で言い表すと”清純”さと”ひたむきな純粋さ”ですかね。

『キューポラのある街』では貧しさの中でも幸せに向かって明るく前進する娘を演じています。それを見た多くの男性たちは、相手役の浜田光夫を自分自身に置き換えて、いたわりあい育み合う恋心を持つ純粋で穢れない女性像を愛し、いつまでもずっと守り続けたいと強く思ったのでしょう。

”サユリスト”って何?

話は変わりますが、冒頭にお話した”サユリスト”ってなんだと思いますか?。

結論から言えば”名前”+”英語の接尾語のist”をくっつけた造語です。

この”ist”という接尾語は『~主義者』や『~専門家』といった意味合いなので、『吉永小百合主義者』あるいは『吉永小百合専門家』とでも訳せば良いのかな?W。とにかく吉永小百合に対する思い入れの物凄さを見事に表現している造語だと思いますW。

著名な”サユリスト”たち

著名な”サユリスト”たち

そんな”サユリスト”の著名人を何人か見ていきたいと思います。

  • 川端康成   

 言わずとしれた、大正~昭和の日本の近現代文学の頂点に立つ文豪です。自身の代表作『伊豆の踊子』が吉永小百合主演、映画化決定した際は、吉永小百合に会いたいがために山奥のロケ地に突然訪ねたことからも、その”サユリスト”ぶりが伺えますねW

  • 石坂洋次郎

川端康成ほどではありませんが、やはり戦後の昭和を代表する大物作家ですね。代表作『青い山脈』は映画化され大ブームとなりました。同じく代表作『陽のあたる坂道』では1958年(主演石原裕次郎)1967年(渡哲也)1975年(三浦友和)と3回も映画化され、主演者は皆、その時代に脚光を浴び、その後大物俳優となった方ばかりです。石坂洋次郎は吉永小百合が演じることを想定して作品を書いたりしていることから、川端康成以上の”サユリスト”ぶりを発揮していますW。

  • 遠藤周作

この方も芥川賞を受賞した高度成長期の昭和を代表する小説家です。1972年に出演した『ネスカフェ・ゴールドブレンド』のTVコマーシャルは当時、とても話題となりました。文章に「小百合さんがトイレに行くなんて想像もできない」というような言葉を残したりしているところに”サユリスト”ぶりが伺えますねW。

  • 野坂昭如

 放送作家・CMソング作詞家として活躍、1960~70年代に一世風靡した人です。1983年に参議院議員として政治家になってます。当時ロッキード事件で明るみになった田中角栄の金権政治に挑む形で新潟区に出馬し選挙運動中に暴漢に刃物で切りつけられたり、センセーショナルな話題に事欠かなかった人。

また特筆すべきこととして、あのジブリ映画で有名な『火垂るの墓』(直木賞受賞)の原作者でもあります。余談ですが『火垂るの墓』は自叙伝的な要素を含んだ作品だそうです。

  • 岡田裕介

日本の実業家・映画プロデューサーであり、1970年代には俳優として活躍した人。1990年より映画スタジオ所長(後に常務取締役)、2002年東映社長就任。2014年には東映グループ会長にまでなった映画の世界の実力者です。

  • タモリ

言わずと知れた日本のお笑いタレント。1982年より2014年まで31年間続いた(しかも土日を除く毎日!)お昼休みの『笑っていいとも』の司会を努め、深夜には、バラエティ番組『タモリ倶楽部』の司会で、こちらは同じ1982年より現在(2018年)まで36年間続いています。文字通り、昼夜通して30年以上お茶の間に顔を出していた超有名なタレントで、日本人なら知らない人はいないのではないか?と思われるほど有名人ですよねW

タモリは自分が”サユリスト”であることを番組内でも度々公言しており、サユリスト”としてもっとも有名な人かも知れません。

“サユリスト”としてのエピソードは、吉永小百合とは同じ早稲田大学第二文学部に通っていた時期があって、学生食堂で食事をしていた吉永小百合を発見した時に、吉永小百合の食べ残しに手を出そうとしたけど我に返り、思い留まったというのがあります。タモリらしいですねW。

  • 赤木圭一郎

吉永小百合の共演者で『日本のジェームス・ディーン』と言われた俳優。撮影中の昼休みの時に日活撮影所内でゴーカートを運転中にアクセルとブレーキを踏み違えて大道具倉庫の鉄扉に激突し、21歳の若さで急死した。彼のことを”サユリスト”とは呼べないかも知れないが、吉永小百合を深く愛した著名人として記しておきます。

吉永小百合のイメージと”サユリスト”の関係

この様に”吉永小百合”という女優を愛して止まない人々は錚々たる顔ぶれですね!しかもその顔ぶれは上記とおり、文豪・大物作家・放送作家・映画プロデューサー・タレントや俳優等、映画作りに密接に関わる方たちが多くいらっしゃいます。しかもその業界では力のある方ばかり・・・。また著名でなくとも各業界の実力者たちや、実際に映画作りに直接関わる配給元である映画関係者にも数多く”サユリスト”は存在するそうです。

そういった特別な”サユリスト”たちが吉永小百合は昔も今も永久に清純派スターであり続けることを熱望しているところが、いろいろな報道関係の記述を見聞きしているとあるようなんですね。

そうするとどういうことが起こるか?映画の原作から、制作、配給、宣伝、報道に至るまで全てが一丸となって、そのイメージを損なわない様に今日まで!頑なに!親衛隊に守られるがごとく進められて来たんだと思います。

なぜそう思うかというと、

1・最も代表的な”サユリスト”タモリは”問答無用でとにかく吉永小百合は素晴らしく、神々しい絶対的な存在”であるかのように話している。

2・『北のカナリアたち』は2012年公開で吉永小百合は当時67歳でしたが、仲村トオル(当時47歳)とのキスシーンがあった。

3・『母と暮せば』は2015年公開で吉永小百合は当時70歳でしたが、二宮和也(当時32歳)と親子の設定であった。

4・最新作『北の桜守』(今年公開)では73歳の吉永小百合が阿部寛と夫婦で小学生の母親役を演じている。

ネッ!ちょっと無理があるでしょ?W

吉永小百合は60年間もの長い間、デビューの頃の様な若くてひたむきな清純さを熱望され、強いられ続けてきた女優なんです。

一般大衆の熱狂的なファンだけなら、永遠の若さ、清純さを熱望する人が、たとえ1億人いたとしても、それを具体的に実現させようと試みられることはないでしょう。

それが”サユリスト”の様に業界の実力者が数多く存在したら、自分の理想的な”吉永小百合”を実現させるべく、何が何でもやり通そうとするのではないでしょうか。吉永小百合を『永遠に若く清純で素晴らしく神々しい絶対的な存在』たらしめるために・・・

ファンの要求に応えようとすると・・・

そうすると、映画製作者側と一般視聴者の感覚に大きなズレが出てきますよね。

リアルに訴えるものが希薄になってきてスクリーンに感情移入することができなくなる。そして興味がなくなりつまらなくなってしまう。

また、役柄もだいたい想定できるものだから、意外性がなくなりつまらなくなってしまう。

ファンの期待に応えることも大切ですが、あまりにもそれに固執しすぎると単調化してつまらなくなってしまうものです。いい意味で期待を裏切ることでハッとさせられ新たな感動を与えることが出来る。しかし、吉永小百合の場合はあまりにも熱狂的なファンが多すぎて、それすら許されない状況に追いやられたのではないかと推察します。吉永小百合は大女優ではあるけれど、ある意味悲劇の女優なのかもしれません。

夫は今も健在!?

夫は今も健在!?

いろいろ勝手なことを書いてきましたが、”サユリスト”なるものを生み出した時点で、それだけ魅力的な女優であることになりますよねW

そんな吉永小百合さんが結婚した当初はそうとうセンセーショナルだったのでしょうねW。

全”サユリスト”の天敵となった夫が誰かチョット気になります。

夫は誰?

吉永小百合の夫は岡田太郎さん。フジテレビのディレクターだった人で独自の演出技法を駆使して『アップの太郎』と呼ばれていたそうです。後に、共同テレビ社長~会長~取締役相談役を歴任されています。やはり、業界の実力者ですね。

きっかけは?

吉永小百合は交際していた渡哲也との結婚を両親から反対され、相思相愛にもかかわらず、吉永小百合の方から縁談を断ったらしいです。その後しばらくして渡哲也が他の女性と結婚した時、相当ショックだったらしく、仕事のストレスもあって声が出なくなった時に、岡田太郎さんが親身になって相談に乗ってくれたのがきっかけとのことです。

弱っている時に親切にされるとコロっといきやすいですよねW。

いつ結婚したの?

吉永小百合さんと岡田太郎さんは1973年に結婚しています。

1930年生まれですから吉永小百合さんとは15歳の年の差婚です。今は15歳位の年の差婚はそんなに特別な感じではないですが、当時はあまりないことだったようです。、しかも、天下の吉永小百合が初婚でしかも27歳の適齢期に対し、岡田さんは42歳の中年男でバツイチだったため、ご両親は猛反対したとのこと。

ただし、以前に交際していた渡哲也との結婚も両親に反対され断念した時に死ぬほど後悔したらしく、同じ轍は踏まないと思ったのか、結婚には吉永小百合さんのほうが積極的だったそうです。

夫の今

1930年7月生まれですので現在88歳ですから米寿ですね。年齢的に心配ではありますが、特に緊急的な病の情報はありません。元気にお暮らしのことと思います。

それにしても88歳になるまで国民的清純派女優と現在も連れ添い続けているなんて素晴らしいですね。相性も良いのでしょうね♪

 

まとめ

今回国民的女優である吉永小百合さんのチョット気になる部分を検証・考察してまいりましたが、ファンはとてもありがたい存在である反面、その期待に縛られてしまい、時には自らの新たな可能性を摘み取ってしまうこともあるのかな、と思ったりしました。

でも、吉永小百合自身がその状況を自ら納得してチャレンジしているのだったら、それはそれで素晴らしいことだと思います。

結婚に関しては離婚率が高くなっている現在の日本において、吉永小百合がこれ程までに長く連れ添う事実を目の当たりにした”サユリスト”達は、今ようやく、『この結婚は正しかったのだな』と納得しているのかも?とちょっとニヤリとしてしまいましたあW