薬師丸ひろ子 歌 うまい 若い頃 画像
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角川映画の申し子として社会現象まで引き起こした薬師丸ひろ子。今や大女優の彼女は歌がうまいことでも知られており、その歌唱力はとても感動的で今も多くの人々を魅了し続けています。今回は若い頃の画像やコンサート動画も織り交ぜ、その魅力に迫ってみたいと思います。

薬師丸ひろ子 プロフィール( 歌手デビューまで)

1964年6月9日生まれ。東京都港区北青山出身。渋谷区広尾にある日赤病院で生まれる。
本名・薬師丸博子。A型。154.5cm。
 
二人姉妹の次女です。
 
『ダブル・インカム』という言葉がまだ無かった時代・・・ご両親は夫婦共働きだったようです。
なので『集合住宅』(今はこの呼び方あまり使いませんねW)のエレベーター前で『子連れ狼』の大五郎のように(笑)母親の帰りを待つ園児だったとのこと。
働いてる親の帰りを待つ子供のことを昔は”鍵っ子(かぎっこ)と呼んでましたっけ・・・。
 
1971年4月、港区立青山小学校入学。
『翔んだカップル』『レイクマーダーケース』で共演した鶴見辰吾とは幼稚園(原宿幼稚園)と小学校の同級生です。幼馴染ですね。
 
1977年4月、港区立青山中学校に入学。
鶴見辰吾はお坊ちゃまで有名な成蹊中~高~大学に進学したので中学からは別になりましたW
 
1978年2月でまだ中学1年生の時、『野性の証明』のヒロイン 長井頼子役の一般公募オーディションで見事、抜擢されました。
実はこのオーディションの応募のことを薬師丸ひろ子は知らなかったらしいW。
たまたま薬師丸ひろ子の写真を撮った人が勝手に応募してオーディションに参加。
役柄設定は8歳なのに薬師丸ひろ子は13歳。しかも演技経験0なので絶対に落ちると思っていたとのこと。
でも角川春樹氏の鶴の一声で決定したらしい・・・この時、角川春樹氏が見出さなかったら今の薬師丸ひろ子は存在していなかったんですね。

若い頃(10代)のTVドラマは2作品だけ

この『野性の証明』より前にTV朝日系ドラマ『敵か?味方か?3対3』(1978年5月25日~7月6日)で、本名の”薬師丸博子”として芸能界デビューしています。
森光子の3姉妹末っ子のとてもクールな女の子役でした。
 
同年1978年10月7日に公開された映画『野性の証明』でスクリーン・デビュー。14歳。
この映画が配給収入21億8.000万円の大ヒット。薬師丸ひろ子は一躍”時の人”になります。
薬師丸ひろ子 若い頃 画像 野性の証明
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翌年にはTBSドラマ・東芝日曜劇場『装いの街』(1979年1月21日放送)に出演。
三田佳子と薬師丸ひろ子が母娘役で、二人の名演技が話題となりました。ドラマ2本目です。
薬師丸ひろ子 若い頃 画像
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ドラマのあらすじ・・・・
三田寛子は”和可子”役で有名美容師となって美容院を開いていました。
和可子は12年前に離婚しており、娘とも離れ離れで音信不通状態・・・
ある日、少女がその美容院に訪れます。
”和可子”はその少女の耳に傷を発見し、少女が実の娘であることを知ってドラマが展開していく・・・
この少女役が薬師丸ひろ子でした。
 
このドラマ以降、1997年のドラマ『ミセスシンデレラ』(4月17日~6月26日)まで、実に18年間TVドラマには出演していません!
つまり、薬師丸ひろ子が10代の若い頃のドラマ作品は上記2作品だけ・・・20代は全く無いんですね!
そういった意味でも貴重な作品です。

デビュー即引退する決意だった薬師丸ひろ子

なんと薬師丸ひろ子は『野性の証明』出演後、早くも引退を考えていたとのこと(^_^;)
理由は映画の撮影で53日も学校を欠席してしまい、学業が疎かになってしまったこと。
進学を当然と考えていた薬師丸ひろ子にとっては由々しき問題だったわけですな。
 
また芸能人が普通に歩く”東京都青山”で育ち、普段から芸能関係者が身近にいた薬師丸ひろ子にとって芸能界は『自分には向いていない世界』と思わせるものがあり、憧れとかも希薄だった様子。
おばあちゃんは芸能界入りに反対してたし、母親とは『野性の証明』だけで辞めると約束していたので、どんなに売れて評価されても辞める決意は固かったと言われています。
 
方や事務所は必死で引き止めます・・・
『本当に嫌になったら辞めさせてあげるから』(今は辞めないで!ということですなW)となだめたり・・・
結局、薬師丸ひろ子は”角川春樹事務所”に対し労働条件として『学校を欠席する必要のないこと』ならば継続することを約束。
 
そこで”角川春樹事務所”は上記ドラマ『装いの街』や資生堂のCM『色』、また角川書店の月刊雑誌『バラエティ』のモデルに起用する等、映画以外の仕事を入れて継続させる戦略を採りました(笑)
 
単発ドラマやCMなら、映画みたいに学校を長期欠席する必要ないからねW
 
なので2作目の映画『戦国自衛隊』もチョコッとしか出演していません。
撮影は体育の日1日だけ・・・
1979年当時、薬師丸ひろ子は15歳で中学3年生で高校受験を控えていましたし事務所も気を使ったことでしょうW
 
映画『戦国自衛隊』(1979年12月15日公開)では凛々しい少年武士役を演じました。
竜雷太演じる自衛官と一騎討ちして供に果てるといった、わずか数分の出演でしたが映画全体を象徴する場面で一番の見どころ。衝撃的なシーンでした。
この映画を観たのはかなり前ですが、このシーンは今でもはっきりと憶えてます。
薬師丸ひろ子 若い頃 画像 戦国自衛隊
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このように俳優・歌手・監督・原作者・政治家・スポーツ選手など著名人がほんの短い時間、映画やドラマ・舞台・アニメ等の作品に出演することを『カメオ(CAMEO)出演』と呼ぶのだそう。
『CAMEO』は『大理石や貝殻に浮き彫りを施した装飾品』のこと。『名場面』『山場』といった意味もあります。
『遠目やちょっとした間でもはっきりと分かる』といった意味合いでそう呼ぶのでしょうね。

CM界でも話題となる薬師丸ひろ子

前記通り、角川事務所としては苦肉の策であったろうと思われるCM出演。
ところが!薬師丸ひろ子はCM界でも話題となります。
出演した資生堂CM『色』(1979年1月4日のみ単発放送!で長~いCMだった)はカンヌ国際広告祭でナント『金賞』受賞!。
このCMは鬼才 実相寺昭雄監督の作品。
実相寺昭雄監督といえば『初代ウルトラマン』『初代ウルトラセブン』を演出した人物。その現実と幻想を織り交ぜた独特な演出法は『実相寺マジック』と呼ばれ今でもリスペクトされています。
 
薬師丸ひろ子って自分の思いとは裏腹に、角川春樹・高倉健・三田寛子・『ミスター超大作』と異名をとる佐藤純彌監督・実相寺昭雄監督・この後出てくる相米慎二監督・大林宣彦監督・・・とてつもなくビッグな方たちと、いきなり最初から仕事を始めて女優として成長していってるんですね。
女優になることが運命であったと言っても過言ではないと思います。
 
CMではワタシ的には1989年からオンエアされたライオンの『ソフトインワン』が最も印象的です♫
薬師丸ひろ子が『ちゃん・リン・シャン』と囁くこのCMは当時、山田邦子がモノマネをするくらい話題になってましたW
最近でも2019年よりオンエアされている明治『免疫力研究所の女』が印象深いですW
賀来賢人とのやり取りもコミカルでとても面白く私も大好きなCMです♫

高校入学後の薬師丸ひろ子

1980年4月、東京の品川にある都立八潮高等学校入学。
1980年、相米慎二監督の初作品映画『翔んだカップル』(7月26日公開)に幼馴染の鶴見辰吾とW主演。初主演となります。
薬師丸ひろ子 若い頃 画像 翔んだカップル
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相米慎二監督は2001年に53歳で亡くなってしまいましたが『もう一度、相米監督と作品を作りたかった』と数多くの俳優・女優たちからリスペクトされている監督です。
また前述の実相寺監督とも気が合い懇意にしていたとのこと。
 
相米慎二監督をリスペクトしている女優の一人、麻生久美子の記事はこちら⤵
薬師丸ひろ子は前述のとおり引退を考えていて最初は出演を断っていたけど、高倉健からアドバイスをもらい出演することにしたんだって。
これもすごい話だよなあW。あの高倉健に相談してアドバイスもらえるなんて・・・。
 
結局、『翔んだカップル』で評価されたことが映画を続ける原動力となって後に『セーラー服と機関銃』でも相米慎二監督と取り組むことに繋がっていきました。
 
まあ、この『翔んだカップル』は私の記憶ではドラマ版のほうが話題になってましたけどねW
柳沢慎吾や轟二郎のハチャメチャさが痛快でした♫
そういやドラマ版でのヒロイン 桂木文は今どうしてるのかな?
ドラマ『ムー一族』で郷ひろみの恋人役として4万人の中から選ばれデビューしてから当時はかなり話題になってたけど・・・2002年以降は活動していないようですね。
 
1981年、高校2年生になった薬師丸ひろ子は『ねらわれた学園』(7月11日公開)に主演。アイドル的人気を確立させました。
薬師丸ひろ子 若い頃 画像 ねらわれた学園
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もともと角川春樹は『薬師丸ひろ子のアイドル映画を作る』コンセプトでこの映画を制作しています。
この頃の角川春樹氏は仕掛ける作戦・アイデアがことごとく成功を収めており、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い!この映画も大ヒット大成功となります。
 
そして、同年1981年の12月19日に公開された映画『セーラー服と機関銃』・・・この映画で薬師丸ひろ子は主題歌を歌い、遂に歌手デビュー♫
ここから薬師丸ひろ子の歌伝説が始まるわけです♫
では、そろそろ本題に入っていきましょうか♫
 

歌がうまい驚きの歌唱力 とは!?若い頃の画像やコンサート動画とともにその魅力に迫る!

薬師丸ひろ子は歌手としては映画『セーラー服と機関銃』の主題歌(曲名も映画名と同じ)でデビューします。
この映画の撮影は1981年、薬師丸ひろ子の夏休み中に収録・・・学校を欠席させないことが約束だからねW

薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』=来生たかおの『夢の途中』

当初、映画『セーラー服と機関銃』の主題歌は来生たかおが歌う『夢の途中』に決まっていました。
来生たかおとしても当時デビュー5年目でようやく『Goodbye Day』(名曲です♫)がドラマ主題歌となって売れ始めた頃・・・ここで一気にチャンスをモノにしたいところでした。
当時、作曲家としては認められてたけど歌手としてはあまり知られていなかったからね。
 
ところが相米慎二監督が『薬師丸ひろ子に歌わせる』とキティ・レコード社長に直訴し、来生たかおは楽曲のみの提供で歌手としては降ろされてしまった(^_^;)
 
これに激怒したのが来生たかおのお姉ちゃんで作詞家の来生えつこ。
『今すぐキティなんかやめてCBSソニーへ移籍させるから!』とカンカンだったとか💦
慌てたキティ・レコードの社長は『両方ともヒットさせますから』と説得して引き止めたそうなW
 
かくて来生たかおの『夢の途中』と薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』は同じ曲で二人ほぼ同時期の販売といったかなり変則的なリリースとなったわけですな(^_^;)
薬師丸ひろ子 歌 うまい セーラー服と機関銃
出典:http://www.kensaudio.co.jp/
薬師丸ひろ子 歌 うまい 来生たかお
出典:http://www.kensaudio.co.jp/
 
そうそうこの曲タイトルも1981年10月に行われた映画の試写会までは同じ『夢の途中』でした。
ところが驚いたことに角川春樹社長は試写会まで薬師丸ひろ子が主題歌を歌っていることを知らなかったらしいW
 
で、試写会後に曲名を『セーラー服と機関銃』にしろと!・・・いやはやキティ・レコードの社長はん、この時は寿命が縮まる思いだったでしょうなあW
無名の歌手 来生たかおと片や歌手としては新人の薬師丸ひろ子・・・そんな二人のレコードを(まだCDはありませんでしたW)同じ曲で同時リリースするだけでもリスキーなのに、更に同じ曲を違う曲名にするなんて!・・・冒険すぎます(笑)
 
しかし、大変な思いでリリースさせたこの2曲(同じ曲ですがW)幸いにも両方とも大ヒットし、しかもロングセラーとなっていきました♫
薬師丸ひろ子にとっては最初にして最大のヒット作となりオリコン週間1位・公称シングル売上約120万枚の売上!
来生たかおの方もオリコン週間4位・集計40.6万枚のセールスを記録。
キティ・レコードの社長さん、キッチリと約束を果たせて良かったですね♫

『セーラー服と機関銃』で社会現象引き起こす

薬師丸ひろ子 歌唱力 セーラー服と機関銃
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『セーラー服と機関銃』が公開された81年にデビューした『アイドル』というと・・・横須賀昌美、沖田浩之、堤大二郎、中島はるみ、竹本孝之、伊藤つかさ、宮崎美子、松本伊代ら・・・

松本伊代は『アイドル』として爆発的人気を得ましたが他の女性アイドルたちはイマイチだった気が・・・^^;
宮崎美子はCMで脚光を浴びましたがアイドルってよりもグラビア寄りだったし、伊藤つかさも人気あったけど、おとなしいイメージで少しインパクトに欠ける・・・W
男性アイドルたちは頑張ってたけど、女性アイドルは松本伊代の一人勝ちみたいなW・・・
 
当時、『アイドル・ブーム』のピークを象徴する”82年組アイドル”『小泉今日子』『中森明菜』『早見優』たちはまだデビューしてませんでした。
 
なので、世間は女性アイドルに飢えていたのかもしれません(笑)。
 
そんな時代背景の中、角川映画のCMがTVで流れ始めました。
若手人気女優の薬師丸ひろ子がセーラー服姿で機関銃を持ち、『か・い・か・ん』とつぶやくこのCMはとても衝撃的で話題となりましたねえ♫
しかも歌まで歌っちゃうもんだから、たちまちアイドルとして認知されてしまったW
 
ところが薬師丸ひろ子は映画女優なので他のアイドルのように滅多にTVに出ない。
歌手としての活動はあくまで映画のプロモーションの一環。
アイドルはアイドルでも『映画のアイドル』・・・TV露出は少なかったんですね。
 
所属してた角川春樹事務所も『出し惜しみ戦略』採ってたしW。
『夜のヒットスタジオ』『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』ら当時人気の音楽番組にも映画公開前の番宣として1~2回しか出演せず、映画が公開されてからは出演しないといった感じでしたW
 
しかし、あまり見れないと余計見たくなるのが人情でして・・・ この絶妙な距離感にヤラれた人々が益々増えていき(笑)
『薬師丸ひろ子に会いたい・・・』そんな思いがとうとう爆発してしまいます💦
 
1981年11月29日、新宿アルタ前で開催された映画宣伝イベント『ひろこDEデート』にファン1万5千人!が集まってしまい機動隊が出動!東映宣伝部は新宿警察署から厳重忠告されてしまいます。
 
コトは東京に限りません。
映画『セーラー服と機関銃』公開2日めの1981年12月20日、大阪・梅田東映ほかで薬師丸ひろ子は舞台挨拶を予定していました。
しかし、徹夜組を含めた約8.000人のファンが上映予定の映画館3カ所に殺到し大騒ぎとなりました(^_^;)
 
この騒動でも警察では収まりがつかず、機動隊の放水車まで出動する始末!
当然、舞台挨拶はおろか上映すら中止となってしまいました。
 
 
舞台挨拶が中止となったことを知ったファンは薬師丸ひろ子を追って大阪空港へ殺到~空港もパニックになっちゃったW
ならば電車で帰ろうと『新大阪駅』に行くと、そこにもファンが待ち受けており、とても駅に近づけない・・・結局、薬師丸ひろ子は名古屋までタクシーで移動・・・ようやく東京に戻れたとのこと(^_^;)いやはや凄まじいですなあ💦
 
翌日朝の新聞各誌では社会面トップ記事として報道。
特に朝日新聞の1面では『機動隊と機関銃』の見出しで掲載されました(笑)。
薬師丸ひろ子 若い頃 画像 機動隊
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その後何年かは警察の許可なしに大阪へは行けなくなってしまったという嘘のような本当の話(^_^;)
今ではあまり考えられない社会現象まで引き起こしてるんですね、薬師丸ひろ子はW

 

社会現象の起爆剤は薬師丸ひろ子の歌唱力

しかし、もしも薬師丸ひろ子が歌っていなかったら・・ここまで大きな反響は無かったのでは?・・・。
 
作曲者の来生たかおは、アイドルとして歌うには大変難しい曲なので『大丈夫か?』と思っていたようですが音程もしっかりしていて『音楽経験者である』と思い直したとのこと。
 
最初から安定した歌唱力を有していたことは来生たかおの話からも容易に判断できますね♫
当時のレコードを聞き直してみても改めて薬師丸ひろ子の歌のうまさに驚かされます。
薬師丸ひろ子の歌い方を一言で表せば『瑞々しい声の質感と清楚で端正な歌い方』・・・
中学・高校と合唱団にいたため歌い方はすごく素直で、声も透明で綺麗なところが一番の魅力。
その後も
  • 『探偵物語』(大滝詠一)
  • 『メインテーマ』(南佳孝)
  • 『Woman Wの悲劇より』( 呉田軽穂=松任谷由実)
  • 『あなたを・もっと・知りたくて』(筒美京平)
  • 『ステキな恋の忘れ方』(井上陽水) 
等々、映画の主題歌を立て続けに(筒美京平氏の歌はCM曲)歌ってきましたが、まあ錚々たる音楽家の楽曲ばかりだこと(笑)
どの楽曲もそれぞれの作曲家特有な魅力や特徴(悪く言えばくせや味みたいなもん)がありますが、それらを見事に活かしつつ『哀愁』『シリアス』『妖艶』『可愛らしさ』『朗らか』といった曲の表情を見事に表現しています♫
 
つまり個性的な巨匠たちの楽曲相手に押し潰されるどころか、より魅力を引き出しているんですね!
 
また殆どが映画の主題歌なので映画のシーンとともに歌をイメージする人も多いかと思いますが、例え映画を観ていなくても歌だけで映画を見ているような気持ちにさせてくれます♫
 
でも決してテクニックに走ってるわけではなく、ボーカル・スタイルはあくまで素直な歌い方
 
特に圧巻なのは『Woman Wの悲劇より』!!!
ユーミンは大好きな女優グレタカルボの名前をもじったペンネーム(呉田軽穂)でクレジットしているので知らない人も多いと思いますが、まぐれもなく松任谷由実が作曲した曲です。
そのユーミンに『自分が作曲したもので最も好きな曲』(松本隆談)と言わしめた渾身の名曲♫
 
そんなユーミンの最高傑作を薬師丸ひろ子は見事に開花させています。
『時の河を渡る船にオールはない・・・』松本隆の歌詞も秀逸です♫
 
そして魂を揺さぶる此の歌声・・・まさに”ひろ子マジック”・・・驚きの歌唱力です♫
 
でも真に凄いのは年を経る毎にその歌声に磨きをかけ、歳を重ねた現在も若い頃の歌唱力に加えて円熟味が増しているところ!
 
上記動画は1984年12月10日に日テレ『ザ・トップテン』で第6位になった時の映像(12月15日の映画公開を前に1週間だけTVに出演したものの一つ)でしたが、下に貼り付けた動画はそれから3年後のLIVEのもの。
『Live`87東京厚生年金会館』での歌声です。
3年間で更に情感が増しており、直接心に訴えかける力がハンパない!
感動せずにはいられないです♫
 
そして50歳を過ぎた薬師丸ひろ子の歌声
『セーラー服と機関銃』で歌手としてデビューしてから約40年たった今もその歌声で人々に感動を与え続けている・・・そんな彼女を観ているとこんな思いがよぎって来るんですね。
 
『薬師丸ひろ子は神から選ばれたディーバ(歌姫)なんだ♫』

まとめ

《歌がうまい驚きの歌唱力 とは!?若い頃の画像やコンサート動画とともにその魅力に迫る!》

  • 薬師丸ひろ子は映画『セーラー服と機関銃』の主題歌で歌手デビュー。
  • 映画『セーラー服と機関銃』の主題歌は来生たかおが歌う『夢の途中』に決まっていた。
  • ところが相米慎二監督が『薬師丸ひろ子に歌わせる』と言い出し歌手デビューすることになった。
  • 薬師丸ひろ子と来生たかおの両者で同じ曲を同時リリースする異例な展開となった。
  • 両者とも大ヒットし、しかもロングセラーとなる。
  • 歌手デビューした1981年はアイドル全盛期の谷間の時代だった。
  • そんな頃、『映画のアイドル』として現れた薬師丸ひろ子に世間は注目した。
  • 『映画のアイドル』薬師丸ひろ子は他のアイドルと異なりTV出演が極端に少なかった。
  • そんな距離感もあり人気は爆発する。
  • イベントや試写会挨拶の場では大騒ぎとなり、機動隊まで出動する事態を引き起こす。
  • 女優 薬師丸ひろ子が歌手としてデビューしたことにより人気が加熱したと思われる。
  • 薬師丸ひろ子の歌い方は『瑞々しい声の質感と清楚で端正な歌い方』である。
  • そして錚々たる楽曲に向き合い、どれも見事に歌いこなしてきた。
  • 特筆すべきは、年を経る毎に歌に磨きをかけ、歳を重ねた現在も若い頃の歌唱力に加えて円熟味が増しているところである。
  • 歌手デビューしてから約40年たった今も人々に感動を与え続けている薬師丸ひろ子は『神から選ばれたディーバである』

現在も女優として、歌手として大活躍している薬師丸ひろ子。今後も注目していきたい女優ですね♫